2015-07-07 第189回国会 参議院 環境委員会 第10号
特に、今回のような防災と廃棄物処理というのは、阪神・淡路大震災のときに経験がありましたが、神戸市役所においてもそういった経験者はみんな退職して、いないと。だから、そういった経験を後世に伝えていかなきゃならない。ただ、なかなかそれだけでは駄目なので、現実に毎年毎年職員を育てていく、そういった大きな意味でのスキームがなければならないだろうと思っております。
特に、今回のような防災と廃棄物処理というのは、阪神・淡路大震災のときに経験がありましたが、神戸市役所においてもそういった経験者はみんな退職して、いないと。だから、そういった経験を後世に伝えていかなきゃならない。ただ、なかなかそれだけでは駄目なので、現実に毎年毎年職員を育てていく、そういった大きな意味でのスキームがなければならないだろうと思っております。
神戸市の中央区というところに、もちろん県庁もありますし、神戸市役所もある。そして、例えば男女共同参画センター、こころのケアセンター、生活創造センター、産業活性化センター、こういったいわゆる箱物であったり組織が全て神戸市の中央区にどうしても集まってしまう。そのような状況を私は神戸の中に見てきておりました。
私も、震災後、神戸市役所前で被災者の集いというのがずっと十何年か持たれてきたんですけれども、その実行委員長を十一年間やってきまして、特に、生活、いわゆる住宅の問題なんかが大変深刻な問題となってきたわけです。
私も、神戸の震災があって、神戸市役所前で行われております被災地の集いの実行委員長を十一年間務めてきた関係もあって、神戸の震災はいろいろと見てきましたけれども、また全く違う今回の被災状況、津波の威力ということも含めて、まさに想像を絶する被災の状況を改めて実感してまいりました。多くの方が亡くなり、また行方不明になっておられます。本当に心からお悔やみを申し上げたいと思います。
ですから、あのときも、兵庫県庁、神戸市役所の人よりは近畿地方建設局の我々の方がよっぽど早く職場に着いて、それでいち早く復旧活動をしました。つまり、家族を捨てて来ているわけですね。 それで、今回も、日本の救世主になってくださいというメールがありました。まさに、では、あなた行きなさいというふうな本音じゃないんですよね。
大臣、あの震災があって、神戸市役所の前で被災者の集いがずっと毎年、一月十七日あるいは年末とかに続けられていまして、私もその実行委員長を十一年間やってきたんですよ。
センターはセンターで神戸市役所が運営なさっておりますけれども、相談員その他の仕事というのは我々消費者協会の方へ委託事業として参りますから、お金がちょっとでも多かったら委託費用もちょっとふえるかな、何かそういうふうなことを考えますと、やはりどうしても、センターにもいろいろな意味でお金が地方の方へ流れてくるということをしていただけたら本当にありがたいなという感じがいたします。
当時、神戸市役所の方も兵庫県庁の方も、みんな被災者だから、とりあえず自分の家族、家庭を確立してから市役所に、県庁に出勤しなさいという業務命令だったんですけれども、我々の方はやはり、家族を捨ててでも、もうとにかく一秒でも早く事務所に出勤しなさい、局に出勤しなさいという業務命令でございました。これが国家公務員の、地方整備局のプライド、矜持なんです。
私は、阪神・淡路大震災のときに、今もそうですけれども、神戸に住んでおりまして、あのときに、神戸市役所は新しい高いビルを造ったんです、しかし、隣に旧館がそのままありまして、その旧館のたしか四階が地震によってぺちゃんと座屈するというんですか、四階だけがぺちゃんこになってしまった。たしかあのとき水道局か下水局か何かがあそこに入っていたと思うんですね。
今お話ありました神戸税関は大丈夫だったわけでありますが、神戸市役所の旧庁舎は、テレビでも御記憶あるかと思いますが六階部分がぺしゃんこになりまして、実は六階部分というのは水道局が入っておったところでございまして、市内の配管図が全く手元に残らなかったと。ですから、ライフラインである水道管の整備というのの復旧は大変遅れたといった、私は大変今でも鮮烈に覚えている体験がございます。
私に受け入れてくださいと言うので、私、関空に着いて、船で神戸に来て、ところが、港が全部壊れていますから、でこぼこの道をたどって、そして彼らを迎えて、一人一人タクシーに分乗させて神戸市役所に行ったわけでございます。ところが、外国人の医療団でありますから、治療はできない、こう言うわけですね。治療してはならない、こう言うわけです。
ただし、阪神・淡路大震災のことで申し上げると、国も兵庫県庁も神戸市役所も機能を低下させたときに、一番活躍したのは町内会であり、あるいはボランティアでありますから、そのあたりはやはり、排除するのではなくて、タッグを組まないといけない。 これは、全部が国がやる、あるいは全部が民間がやるという趣旨のものではなくて、まさしく危機状態で出てきたように、市役所がやれなくても県庁がやれなくても、町内会でやる。
神戸の震災のときにも兵庫県庁とか神戸市役所を移転するというのは全く不可能でございました。したがって、この点は十分留意していただく必要があると思います。 最後に、幾つかの留意すべき問題について申し上げたいと思います。 まず第一に、首都機能の規模でございますが、政府審議会ではある一定の条件を付けて規模を決めまして、それで、最初は十万人ぐらいで、最終的には五十六万人というような規模を作りました。
神戸市役所の担当に、マンション再建について何かないかと言ったときに、たった一つだけ、合意の決議を四分の三にしてくれないとなかなか進みませんと、こういった話もありました。私も、五分の四の決議というのは、実は実態としては、合意形成というのは極めて高い。阪神・淡路大震災というのは、マンションが壊れていて、なおかつ五分の四のケースが難しかった。
それでは、オフィス等はどうであるかといいますと、これは御承知のように神戸市役所であります。神戸市役所の建物も、こういうふうな形で一つのフロアが完全につぶれされてしまうという状況になりました。それから、道路、鉄道等のいわゆる交通インフラストラクチャーも大変大きな被害を受けたわけでございます。 私は、初めに申しましたように土木学会の会員であり、土木技術を研究してきた者であります。
例えば兵庫県の場合は、地震が揺れましたときに、兵庫県庁、神戸市役所に勤めている人の平均通勤距離が十キロでございました。だから、徒歩でも自転車でも来れないわけではありませんでした。今、東京の場合は二十四キロでございますから、公共交通機関がとまりますと絶望的でございます。 そうなると、一体だれが復興するのかというと、やはり違うものをつくらなきゃいけない。
その利息で我々はこの基金を大きくして運用したい、こういうことをお願いをしておるわけでありますけれども、この地方の神戸市役所なり兵庫県の連中が自治省なり大蔵省へ行ってきましても、とても門がかたい、どうにもならぬ。それと、今度はキャッチボールが起こる、大蔵省は自治省だと言われる、自治省は大蔵省だという話になる。 しかし、考えてみたら、住専の話は私はいたしません。
神戸市役所の方も漠然としたお答えしか得られなかった。それで、共同施設が今後どういうふうな状況になっていくかということの一つのこれからのステップを考えなければならないんだろうと私は思うのです。 しかし、神戸の人たちにお聞きしますと、やはり何としても今日一番緊急なのは、そういう施設よりも実はこういうことだと言うので、いろいろお聞きしたんです。
早速、車で地元豊中市の被災地を巡回し対策を手配した後、直ちに伊丹市、西宮市など被災地を通って神戸市役所に向かいました。渋滞で車が動かず、消防自動車もまた立ち往生じておりました。 総理は朝六時ごろ地震発生を知ったと語っておられますが、すぐに情報収集を指示し、対策を検討し、交通規制等に手を打つべきでありました。
国道二号を例にとりますと、大阪府境から神戸市役所まで約七、八時間を要しておったというふうに見ております。まだこの時点では緊急輸送ルートとしての規制を行っていなかったわけでございますけれども、翌十八日の午前六時を期して、国道二号線を、一部迂回したところもございますけれども、緊急輸送ルートに指定して交通規制を行いました。
○赤羽委員 それと、先ほどの御発言の中で、二十一日ぐらいから、いわゆる兵庫県の県境から神戸市役所に入っていくのに二時間から二時間半程度、それ以後は大体二時間ぐらいというような御説明があったと思うのですが、先ほど同僚の佐藤議員の発言の中に、大阪から神戸に緊急物資を持たれて向かわれた。
○伊藤説明員 私どもが時間を調査しましたのは、兵庫県警を通じて行ったわけでございますけれども、いわゆる救援物資車両が三宮の神戸市役所に来る、その際に運転手等から聞き取りをしまして、大阪府県境通過時間あるいは到着時間というものを確認して、大体このくらいかかったということを兵庫県警を通じて聞いておる時間帯でございます。